何年ぶり?UPDATE. 2008.3.17
一昨夜、佐伯鶴城高校剣道部時代の恩師、高山誠一先生の還暦の祝いを教え子一同で開催。
本当に久しぶりに会う先生、お元気そうで何より、相変わらず眼光は鋭い。
現在は『チャレンジ大分国体』の実行委員の中心的存在(参事)として活躍なさっておられる。
そして私をはじめ、この先生との出逢いによって人生を変えられた(?)先輩後輩。
懐かしい思い出話にも花が咲いた。(朝の3時まで )
その思い出話の内容だが、皆楽しそうに語るのは、当時のメチャメチャきつかった練習や合宿、先生にどれだけ怒られたかなんていう苦労話(自慢話)。
やってるときは「もういい!もう勘弁して!イヤだ~!・・・・」なんて思ってたのに、時間が経つと不思議と誇れる経験に変わっていた。
赴任10年目で日本一、私は卒業して7年が経っていたが、当時そのニュースを耳にしたときは、本当に心より嬉しく、そして誇りに思った。
現在、自分が置かれてる立場になって、当時の先生の言葉や指導の深さが身に染みる。
『練習は不可能を可能にする』
この言葉に信念を持ち、県でベスト8になるかならないかの弱小チームを日本一まで鍛え上げた指導力。
すごいもんだと思っていましたが、その教師生活を振り返り、いろいろと先生の口から出る当時の事は、全て頭の下がることばかり。
ここまでして人を育てていくのか。
陰で支える奥様のご苦労も涙ぐましいものでした。
私なんか、まだまだ足もとにも及ばないな。
私の高校入学と同時に赴任してきた高山先生。
赴任式では、ステージ上で異彩なオーラを放っていて、中学を卒業したばかりの小さな私は身が竦み、「死んだな。」って思いました。
練習は非常にメリハリの効いた内容で、その目的がはっきりしていて、とにかくだらだら長くする練習には意味がないという感じでした。
そこには『文武両道』の精神がありました。(ちなみに東京教育大学出身)
それと、練習と同じくらい緊張する(ビビっていた)のが、遠征や試合に行くときの、まわりへの気遣い。
タクシーや電車に乗る時の荷物(防具や竹刀)をてきぱきとやらないと、すぐに機嫌が悪くなる。
もちろん挨拶や後始末は言うまでもない。
小手先の技術だけが向上しても、最後(例えば優勝するか否か)はこういう当たり前の小さなことの積み重ねが勝敗を分けることを教えてくれてたのだろう。
まわりから信頼され、お互い感謝し、常に謙虚さを忘れない。
試合に出るのは5人だが、チームとしての連帯感は、控えの選手を含め、それぞれの自己重要感(自分いるから・・・)をいろんな場面で与えてあげることで形作られていく。
それがそこの伝統や文化というレベルまでいったときに、何か大きなエネルギーが動くのであろう。
それを確信した、エピソードがある。
日本一になったその日、夜遅く部員達を乗せたマイクロバスが佐伯に帰っている途中、ガソリンを入れにスタンドに立ち寄った。
ガソリンを満タンに入れてくれた店主は、「鶴城剣道部でしょう?優勝おめでとう!今回お金はいらないよ。お祝い、お祝い。」と照れくさそうに言ってくれたという。
優勝するということは、もっと言えば日本一や世界一になるということは、自分達の努力もさることながら、まわりの人(一度も会ったこともない人も含め)がどれだけ応援してくれているかが、形になったものだと思う。
だからあきらめずに努力できるし、だからまた応援したくなる。
お互いが熱くなる。
そして、このエネルギーのスパイラル現象が出現したとき、より多くの人を巻き込み一気に上昇しはじめる。
そのスパイラルの中心にあるべきものは、『ぶれない純粋な想い』だとお思うのです。
なんか気持ちが高揚して長くなってしまいましたが、OBとなった今も、いろいろなことを気付かせてくれる先生とその想いを共有した経験のある仲間の存在に感謝。
そこには、遠く離れていても、いつも同じ風が吹いていました。
高山先生、大分国体の成功を心より願ってます。
眠り屋 店主