祖父の遺した言葉UPDATE. 2009.1.12
暮れも押し迫った昨年の12月29日、祖父(いとしや初代)が他界しました。
12月の13日にちょっと調子が悪いという事で、検査に病院へ。
歩いて行けるぐらいだったので、私の母が付き添って行きましたが、検査をして驚愕。
白血球の数値が超異常。
若い人なら立ってもいられない程の数値。
祖父は昨年96歳の高齢、身体も痛みを感じにくくなっているのだろうということ。
緊急手術、そして入院。
胆汁を外に出すパイプがつけられた。
祖父としては家を出る時、まさかもう二度と生きてこの家に帰って来れないとは想像もしてなかったと思います。
簡単な手術のようで、無事に病室に戻って眠っていた。
しかし、その夜になって急変。
夜中の12時頃、心臓が止まって急遽心臓マッサージ。
人口呼吸器?をつけられ、とりあえず命はとりとめたが意識が戻らない。
「近い親戚の方に集まってもらうように」ということで、夜中大分から高速飛ばして実家の佐伯へ。
祖父は呼吸はしているものの、意識はない。
私はそのとき、また元気になって家に戻れると安易に思っていました。
そして翌日、担当医師より母へ苦渋の選択を迫られる言葉が告げられた。
「私の経験では、もう長くはないと思います。持って3日から一週間。次またいつ心臓が止まるかわからない。高齢なので、できることも限られます。そうなったらどうするか、家族の方と話し合っておいてください。」
予断を許さない状況ということがわかった。
もちろん、少しでも長く生きてもらいたい。
家では93歳の祖母も待っている。(うちは長生きの家系か、祖父の母は102歳まで生きて大往生だった。)
でも、意識が戻らないままただ人工的に延命させるのも辛い。
毎晩、病室で祖父の隣で寝る母の身体も心配。
いろいろな身内の方の生活リズムが狂う。
皆それぞれ身近に問題や課題を抱えている。
苦渋の選択の末、祖父の自然の状態に従うことにした。
「次に心臓が止まったら、もういいです。安らかに眠らせてあげてください。」
それから意識は戻らないまま3日、見舞いに行って祖父の手を取ると、もう風船人形のようにむくんでいた。
話かけても何も返って来ない。
ときより、足がピクッ、ピクッって動くのを見てると、何故かこちらの心が穏やかにおかしい気持ちになる。
でもやはり不自然な動きだ。
1週間後、何故か、薄く開いた瞼の奥で眼球が右左に動く。
一瞬、「エッ、見えてる?!」、私の希望的観測でした。
やはり、不自然、人工的な動き。
結果このまま、12月29日の夕方、再度心臓が止まり、他界。
30日に通夜、31日に葬儀。
2親等内での葬儀は、32年ぶり。
90代の身内がまだ3人(義父一人)います。
やはり、みんな元気が何より。(いい眠りのお陰だと思ってます。)
いっしょに暮らしてなくても、見えない糸で繋がってます。
祖父の死は、日頃意識してない『繋がり』というものの大切さに目を向けられる機会となりました。
思い出すのは、生前(90歳前後)のある日、私とふたりきりになった時、ぽつり呟くように話してくれたこと。
「天伸、この歳になるまで商売も含めいろいろなことをやって失敗もたくさんしてきた。でもやって失敗したことは後悔してない。むしろやらなかったことの方が後悔が残っている。・・・・」
この言葉が祖父が人生を通して、孫である私に遺してくれた言葉。
そして、私がこのことを忘れない限り、祖父はずっと私の心の中で生き続ける。
これからは、ずっと近くで私達家族のことを見守っててください。
「ありがとう。爺ちゃん。」
眠り屋 店主